昨日は、Twitterで、たくさん、キョサマ誕生日の流れてるのを見たよー。
さすが超主人公。
愛されてるなー。
その中で、草薙京25回目の高校三年ってのがあって、ひゃー、てなった。
私、衣装が学ランじゃなくなったときに、退学した説を取ったけど、まだ在学スタンスな方も、いらっしゃるんね。
学ラン京コス、昔、したなぁ。
紅丸とジョーとバイスと舞ちゃん(MI2p版)と……私、けっこー、やってるな。
あとブリス庵もなんだけど、衣装サークルさんにフルオーダーでお願いした、思い入れあるやつだから、これだけはなんか、手放せないでいる。
製作は舞ちゃんがめんどくさかった。
MIの2pて、赤白ネジネジ尻尾に、でっかい鈴ついてんだもん。
ミシン使えないから、全部、手縫いしたし。
はー。
若かりし日の思い出。
ハル戦煌の新刊、50p前後になることが発覚。
メドたったから、あとは私が行けるように、持っていかなきゃな。
そうそう。
弁護士さんから、障害等級14がつきましたって連絡きた。
神経の怪我は画像に出ないから、立証が難しいって言われていたから、ほっとした。
これから弁護士さん、加害者がわの保険会社と話し合いしてくださるって。
医療費だけでも、ばかにならぬゆえ、よきように取り計らっていただきとうござる。
ござるござる。
あんな、亡うならはった作家の野坂さんな、うちの小学校の大先輩やねんて!
知らんやった。
せやから、同じ小学校に通っとった、父方のじいさまが、火垂るの墓を観ていた時、空襲で小学校の回りが焼けて、遺体を運ぶシーンで
「俺も、ここにおって、遺体を運んだんや」
て、どんなふうに空襲の中にいたか、空襲のあと、どうなったかを、語ってくれたんやなぁ。
あんとき、作家の野坂さんと、うちのじいさま、おんなし体験したはってんやわ。
ほんで、それが作品に再現されとったから、じいさま、懐かしゅうなったかなんかで、自分がそのとき、なにしとって空襲に遭うて、そのあと、どないしたかを話したんやねぇ。
て、しみじみしてもた。
うちが通てたとき、校舎はまだ建て替えされとらんかったから、うちは野坂さんとおんなし校舎やったっちうことやね。
えらい歴史ある校舎のつくりや、いうのんは、なんとなくわかってた(祖父・父・私と通っていたから)けど、なんや、スゴかってんなて気持ちが増したわぁ。
空襲をくぐり抜けたうえに、阪神淡路大震災でも、町は崩壊したけど、校舎はちょっともヒビすら入らんかったのに、なんで建て替えしてもたんやろ。
建て替え決まったときも、ぎょうさん「もったいない」いう声あったけど、校舎の分厚い石造りの階段の手すりやらなんやら思い出すと、やっぱり、建て替えは、もったいなかったよなぁ、て思うわ。
まあ、もう無うなってもうたから、言うてもしゃあないけどな。
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