いや、テレビでいま、そんな効果音が聞こえたから、タイトルにしてみただけで、意味はないです。
なんか、地震速報10秒あったら、眼鏡をかけて外に出られるから有益!
みたいなツイートが流れてきて、そうよねーってなった。
阪神淡路大震災のとき、眼鏡なしで瓦礫と化した家から裸足で逃げ出し
明るくなっても視界がぼやけて、段差とか落ちている瓦礫とかわからなかったから
眼鏡があるのとないのとで、すごい違いがあったと思う。
あのとき、私まだ子どもで、向かい三軒両隣というか、
実家周辺の人たちには仲良くしてもらってた
(家に上げてもらったり、旅行に連れて行ってもらったこともある。
犬を飼っている家はとくに、
代わりに散歩に行かせてもらうレベルで親しくしてもらっていた)
から、周囲の大人たちに助けられていたから、
見えなくてもなんとかやれたんじゃないかな。
当日の記憶は鮮明だけど、そっから五年くらい記憶があやふやで、よく覚えてないんだけど。
(おそらく、友人知人の死とか、流血している顔見知りとかを一気に見過ぎた&祖父の死による親戚間のゴタゴタ&家族バラバラに親戚の家に散って生活した/あまり馴染んでいない家に私は預かられていた、なんてこともあって、フタをしてしまったのではないかと思われる)
学校での温度差も、すごかったし。
いま思えば、小学校六年間の「集団登校」があったから、
町内の子どもたちとも縁ができて、その親とも顔なじみになって
その親の知り合いの大人とも繋がりができていたから
「集団登校」って、有益なのかもしれないなぁ。
大人の間でも、子ども同士のつながりが、大人同士のつながりに還元されていたのかも。
震災直後に、大人たちが知人の情報共有をして、瓦礫に埋もれている人を救出していたから。
あのときの怒声に似た大人の男たちの声とかは、なんとなく覚えてる。
奥さんのほうは潰れてムリやったわ、とか、あっちに埋もれている人がおんねん、とか。
直後の記憶は匂いまで鮮明なのに、数時間後に落ち着いて(?)からが不鮮明なの、不思議。
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